2013年

5月

17日

どんなに時代が変わっても、変わらないもの

水窪の古民家での合宿。

テレビもない、テレビゲームもない。でも豊かな自然がいっぱいある。

 

山頂まで探検に行き、枝打ちされたスギの枝をなぜか刀として持ち帰る。

 

ナタで削り、ヤスリで磨いて、自分だけの刀が完成だ。

 

小3から中2まで、異年齢の集団ではあるが、刀を磨きながら会話がはずみ、完成後はチャンバラごっこがスタートする。

 

着ている服を変えさえすれば、その光景はまさに昭和30年代といっても分からないだろう。一汗かいた後の子ども達の目はとっても澄んだ目をしていた。決して空気のせいではない。

続きを読む

2013年

5月

17日

縁側から…

500年以上の歴史を刻む水窪山中の集落。

日本建築の素晴らしい要素の1つとして、縁側が一般的であったが、今ではあまり見られなくなってきているようだ。

そんな縁側のある古民家に宿泊したのだが、さっそく縁側の戸を開くと、まさに絶景が広がっていた。

ウグイスが鳴き、ツバメが飛び交い、ただただ静かな時間が流れるばかり。

何と贅沢な環境であろうか。

はたして、ここからながめる夜空はどんなであろう…

続きを読む

2013年

4月

07日

2013年4月7日静岡新聞

続きを読む

2013年

4月

07日

本物の本物

落差1000㍍のヨセミテ滝。大きな岩を乗り越えてその滝つぼ近くまで行った時の、人がアリに見えてしまうほどの迫力たるや、どう表現すればいいのか語る言葉が見つからない。しかしながら、その時の写真を持ち帰り改めて見直してみても、あの雄大さは伝わって来ない。

なぜだろう?まさに本物とそうでないものとの明確な、そして厳然とした差異がそこには存在している。

つまり、本物とそうでない物との差異は、本物体験をした者にしか分からないのだ。

だからこそ、物が溢れ、情報が溢れている現代において、それが本物であるかどうかということが重要な判断・選択基準となる。

一方、何かに秀で、優れた成果を上げた人物にも『本物』という言葉が使われるが、その意味ではノーベル化学賞を受賞された野依良治博士は、まさしく本物の人物である。

その人物と膝を交え直接お話しをさせて頂き、しかも直筆でコメントまで頂くことができた雅人君は、まさに“本物”と本物体験ができた幸福者である。

それも、彼の3年間にわたる本物の努力があったからこそなのだが。

野依科学奨励賞3年連続受賞おめでとう!

続きを読む

2013年

3月

21日

あったか~いこと

昔はたくさんあったのに、今ではほとんどなくなってしまった。

昔はみんな平気だったのに、今ではいやがる子もいる。

 

どうしてそうなってしまったのか。

原因の1つは外遊びの減少とテレビゲームの普及。

 

ほとんどなくなってしまっても、目に見える変化はあまりないけれど、心がなんか寒くなる…時には寂しくもなる…

 

どうしてそれが必要なのか?

どうしてそれが大切なのか?

 

それはお互いがあったか~くなれるから。心も身体もほんのりと。

 

だから大切、だから必要!

お互いの身体に触れることは。

2013年

3月

14日

一意専心

乾燥した竹を持って天竜川の河川敷に行った。

すこしでも本格的な弓矢を作るのが目的だ。

まずは焚き火を起こして、竹をあぶり、更に水分を飛ばす作業を行う。

その後は、カッターで角を削り取り、持ち手の部分に麻ひもを巻いて結ばずにとめる方法を伝授する。

次は竹の両端に刻み目を入れロープ(弦)をとめる『矢はず』を作る。

「『彼は来るはずだ!』の『はず』はこの矢はずからきているんだ!」と伝えるも、あまり反応を示さない。

なぜなら、「早く作ってシカやイノシシを狩りに行きたい!」のだそうだ。

気分はもうハンター。『はず』なんかにこだわっていられないのだ。

『こんなはずではなかった!』という想いをぐっと飲み込んで、次の指示を出す。

目の粗い紙ヤスリで竹を磨くように伝えるのだが、誰もがめんどくさそうな表情を見せている。

それならと、私は4年生のS君の竹を取り、その一部を力を込めて磨いてみせた。

わずか30秒程でも予想以上にツルツルだ。

まだ摩擦熱で熱くなっているその部分を指さして、彼に触ってみるよう無言で促してみた。

すると彼は、私の意図するところを読み取って、指先でスルスルと触った。

その瞬間、「えっ?」という驚きの表情を見せたかと思いきや、彼はニタリと笑い、私から紙ヤスリを奪うようにして磨き始めてしまったのだ。

そのあとはもう一意専心。座っても立っても、あるいは歩きながらでも磨き続けたのであった。

まさに子供を動かすには言葉は必要ないのだ。心を動かす事実を見せることができれば。

続きを読む

2013年

2月

27日

試行錯誤って…

「あっ、すご~い!」

彼は、こう叫んだ時にはもう走り出していた。太いツタが巻き付いた木を見上げて考えている。もちろん、どうしたら登ることができるのか、そのルートであり、方法だ。

考えているだけでは分からないから、ある程度目安が付いたら、まずはやってみる。

やってみると、ツタが揺れたり、足場が滑ったり、あるいは次へ進むルートが困難だったりと、予想外のことが次々と起こる。だから、そのたびに考え、もどってはやり直す。が、決して『手伝って!』とも『教えて!』とも言わないし、『できない』と諦める事もない。

『あそこまで登りたい!』。

その想いが強いからこそ彼の視線は上を向いたままなのだ。

やがて、目指す地点に登ることができた彼の視界には、一体どんな世界が広がっていたのだろうか。それは人に教えることができない、そして登ったものにしか分からない特別な世界なのだ。

2013年

2月

18日

TOMUSOYA 秘密基地を作ろう!

倒木や木の枝を使って秘密基地を作った。屋根と地面にはシダの葉をしきつめる。

わずか一畳半ほどの広さにもかかわらず、そこはまさに現実とは異なる世界だ。

もちろん扉など存在しないが、作った者だけが入室が可能で、たとえ上級生であっても、無断で立ち入ることは許されない。それが暗黙の了解であり仲間の証でもある。

今、小学二年生が三名、なかでお弁当を食べている。

何を思い、何を話しているのだろう。

その姿はもはや小学生ではなく、一人のハンターであり、戦士でもある。

だからこそ私は、近寄ることすら躊躇ってしまう。

大人であるが故に、なぜか大切な物を壊してしまいそうな気がするからだ。

私にそうさせないのは、彼らに投影された子供時代の私自身なのかもしれない。

自然のかけらで囲まれた彼らの世界では、太古から未来へと様々な夢や想いが飛び交っているに違いない

まさに子供にとっての秘密基地は、富・夢・想・家なのだ。

2013年

2月

16日

自立の勲章

自分で考え、判断し、そして実行する。

自然の中での様々な遊びや体験には、そうした機会がたくさん含まれている。

たとえば、写真のようなかなりの急斜面では、登るのも大変だが、下るのはもっと緊張感が伴う。

だからこそ、情況を判断し、ルートを探りながら慎重に下りていく。

足場を確認し、つかむ樹木やその枝の太さによっては、折れる可能性も考慮に入れなければならない。落ち葉や木の根の上、粘土質の土壌なども滑りやすくて危険だ。時には先輩が手を差し伸べてくれたり、石を下に落とさないよう注意を促してくれる事もあるが、あくまで、自分の責任で最後まで下らなければならないのだ。

こうした起伏に富んだ、豊かな自然環境の中での活動には、当然、予期せぬ事や判断ミスによる擦り傷、切り傷などのケガも避けられない。また、活発な行動によって服の汚れも激しくなる。

だから、小さなケガや服の汚れは、積極的な行動の証明であり、有意義な学びの勲章でもある。

たしかに、快適な環境の中、自分で考える必要もなく、安全にテレビゲームをしていれば、ケガも服の汚れも起こらないが、それでは子供の自立に必要な、貴重な“勲章”は手に入らないのだ。

2013年

2月

13日

ラッキーボーイ

今年になって釣り講座の釣果がとっても好調だ。

ここ数日は、ボラが釣りほうだいで、ひとり平均にして二桁が続いている。

その前は、ヒイラギが三桁になり、夜釣りにはメバル、黒鯛、セイゴと大型の魚がその引きの強さを楽しませてくれた。

思いかえせば、昨年の夏、大型のウミウシばかりが、なんと40匹以上も釣れた時以来、しばらく不調が続いていたのに、一体いつから好調になったのかと考えてみると…分かった!

彼が大きなカレーを釣った時からだ!

小学2年生でドルカスメンバーとなった彼は、今年はもう中学2年になってしまう。

あまりにも成長が速く感じられ、もう少しゆっくりでもいいのにと勝手な願望が沸き上がってくるが、それも仕方がない。

ボラやセイゴが出世魚であるように、彼もまた、留まることなく成長し続けるはずであるからだ。一体彼がどんな成長・出世を遂げるのか、大変楽しみなメンバーの一人でもある。

 

2013年

2月

05日

命を感じる瞬間

ピクッ、ピクピク、グー。

わずか1本の細い糸を通じて、手のひらに伝わる命の鼓動。見えないからこそ感じる、海中で必死に逃れようともがく何かの存在。

『逃すものか!』 その反応が大きければ大きいほど沸き立つ心。ハンターとしての血が騒ぎ出した証拠だ。

だからこそ獲物を得ることができた子供は、それを家に持ち帰るとき、どこか誇らしげでもある。

人は何万年もの間、命を奪うことで命をつないできた。それは今でも変わらない。

今、子ども達にとってそのハンターとしての血が沸き立つ機会もなく、よどみ、濁り、それがいじめなど様々な問題となって現れて来ているように思えてならない。

ドルカスの講座から釣りがなくならない理由でもある。

2013年

2月

03日

子ども達の発想はどこから?

秘密基地の中にシダの葉っぱを敷き詰めて、ふっかふかの気分!どこか懐かしそう?

そして、見ている私も懐かしい想いに…

自然の中で生まれる子ども達の様々な発想には、なぜか共通したものがあります。基地を作ろうとしたり、武器がほしくなって、木の枝などを探したり、仲間意識が強くなったりと。

『人間の遺伝子には、人間の祖先だけでなく、人類として進化する以前の、過去何十億年にわたって進化してきたその過程における記憶や能力が入っている可能性があるのです』(筑波大学名誉教授・村上和雄)

子供の自然環境における色々な発想の源は、遺伝子なのかも。私にはそう思えてなりません。

真相はどうであれ、子供達の笑顔は何よりの真実です!

 

2013年

1月

31日

最高の遊び場・ドルカスワールド

やっと一人通れるほどの狭い山道を500mほど奧に入ったところに70年前の鉱山跡があります。

その斜面から突き出すように伸びた木に長いツタがあり、絶好のターザン環境です。

最も高い写真の岩場に立てば、視線の高さは地上5m以上となり、恐怖感を抱くのは当然のレベル。見ている方もハラハラです。

でも恐怖感<ワクワク感で、チャレンジャーが続出!

一度やったらやめられない、最高の自然遊び場となりました。

続きを読む